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細民部落民 朝鮮人 部落民
米穀商
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村 長
販外内反廉 売米地対売 米白
一二米
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富豪 岡山署
労賃不払に関
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役場・村長
村長出頭
廉売
、
岩崎・上山両家襲
撃
委員週出、交渉 公会堂集会 津山街道示威
示・威 毛、大原署昼夜
不眠警戒 鎮撫を依頼。 団警戒、侠客に 勝問田署に急報在郷軍人、青年 止、慰撫 途中で派遣隊中 商と協議、廉売 巡査懇願、米穀
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岡山県下の米騒動
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県下支配階級の対応策を検討するにあたって、勿論、全国的規
模における天皇制権力機構、独占ブルジョアジー、寄生地主の対
応策の一環として考えるのであるから、特に中央の政府、財界等の対応を考慮し、それと本県下の支配層のうごきとを関連させて 考える必要がある。しかし、全国的規模での対応策については後
の機会にふれることとして、ここでは、主として岡山県下に限定して考察した焔又、地方当局のうごきについては、富山県の場合についてかなり詳細にふれたので、本稿では、特に岡山県下の特徴とみられる点についてやや詳しくのべてみよう。第一次大戦中から各地で、労働者の賃上げ要求スト、小作人(1) の運動、農民の製糸工場への陳情が起っていた。郷土の犬養木堂らによって鼓吹された憲政擁護の思想は、犬養崇拝と相俟って、広汎な大衆をとらえ、大衆は徐々に政治生活の中にひきいれられていった。又片山潜、森近運平、山川均らをうんだ社会主義運動も、無実の森近の逮捕と処刑によって深刻な打撃をうけた(2) が、ふたたび芽生えつつあった。こうした情勢の中で、県内支配層は県郡市町村を通ずろ天皇制の末端機構の強化によって弾圧の背骨を整備するとともに、その補強として青年団、消防団、在郷軍人の訓練と強化に力をそそいだ。特に一九一八年(大正七年)急激な物価騰貴によって、大衆の生活が破綻し、社会不安がつの 2支配階級の応対 るとともに、この傾向は促進された。たとえば、一月十二日付町村吏員優遇通牒、巡査の増俸(六・一三)郡書記の増俸(六、二三)等は、町村官吏警察官を優遇し、その離反を防ごうとしたものである。又五月二六日の郡市長会議では、地方改良団体に関する件、軍事救護に関する件、救済事業に関する件、青年団体並帝国在郷軍人会助成に関する件に関し、指示を与えている。更に二十八日開かれた署長会議では、工場法施行状況に関する件とともに、警察官吏とエ場監督官との連絡に関する件、|戸口調査に関する件等を指示し、工場労働者やへ各家庭への警戒を強めている。以上、公表された史料にもとずいてのぺたのであるが、このほか富山県の場合と同様に、更に厳重な機密の指示事項があったものと推定される。こうした権力機構の強化とともに、細民の救済、被差別部落民の救済、又は融和を進めることは支配階級の常套策であるが、特
に岡山県の場合、この政策の一つとして済世顧問制度(大正六年五月)が設けられた。この制度の創設の事情について知事笠井信一は次のようにのぺている。『大正五年五月十八日、宮中に於て県下の貧民状態に付御下問を蒙り、調査したるに其生活標準の立て方に依り員数の差甚だしく到底万人の首肯する貧民数を知るべくもない。仮りに都市に在りては県税戸数割賦課等級の最下級即ち一ヶ年平均六銭を負担するもの及び岡山市に於ては家賃一ケ月一円三十銭以下の’
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借家に居住する者を調査したるに、戸数二万九千九百戸、人口十万三千七百十人といふ驚くべき数を発見した。而も其の生活状態は悲惨実に云ふに忍びざるものあり、又其の員数だけでも県民の一割は極貧であることを示す。若し夫れ子弟の教育費に苦しみ、医療費に差支へ、家賃、租税に困難して居る者を調査しなば幾何あるか思ひ半にも達せぬであろう。人間は辛ふじて雨露を凌ぎ、辛ふじて衣食して生きて居ればよいと云ふものでない。独立自営、人の迷惑にならず進んで社会の為にし、国家に貢献して善良の国民たる資格を傭ふくきである。仮りに御下問が貧民状態に対してでなく、国民たる資格者の数如何であったとせば、其の数や必ず少く知事顔色なしと申す処だ。更に県(3) 民全部から此の資格者を除けば貧苦の数は莫大に上る』この県知事の言葉は、移しい悲惨な生活困窮者の存在の中から、辛うじて一割の貧民を算出する標準をたて、天皇に奉答した苦衷を卒直にあらわしている。さて、これを契機として、知事を中心として、県当局は若干合理的な救貧対策の樹立をめざし、急ぎ立案の準備を進めた。その結果できあがったのが、この済世顧問制度であった。次にこの内容について若干のべてみよう。済世顧問設置規程によれば〈、、、、第一条済世顧問ハ県下市町村ノ防貧事業ヲ遂行シ個人並社会ヲ向上セシムルコトヲ以テ目的トス第二条済世顧問ノ防貧方法ハ精神上ノ感化、物質上ノ斡旋等 一一依り現在及将来二於ケル貧困ノ原因ヲ消滅セシムルモノトス第三条略、、、、、、第四条済世顧問ハ郡市長ノ推薦ニ依り知事之ヲ嘱託ス郡市長前項ノ推薦ヲ為サントスルトキハ第五条ノ資格ヲ有スル者ノ内ヨリ関係警察署長及町村長ト協議詮衡スルモノトス第五条済世顧問二推薦セラルヘキ者〈左ノ資格ヲ具備スルモノナルコトヲ要スー人格正シキモノニ身体健全ナルモノ三常識二富メルモノ四慈善同情心二富メルモノ、、、、、、、、℃、、、、、、、、、、、、、、、、五市町村内中等以上ノ生活ヲ営ミ少クトモ俸給ヲ以テ衣食、、、、、、、、、ノ資二供セサルモノ六忠実勤勉其ノ職務二尽クスヘキモノ第六条略(4) 第七条済世顧問ハ名誉ノ職トナシ之ヲ優遇ス(傍点筆者)と。この規程によって、顧問に任ぜられたものは、概ね、各市町村の、、、、、、(5)中流の名望家であって、巨大地主や大富豪はふくまれていない。そして、非常に詳細な『細民調査表』によって貧民を個別に調査し、防貧対策、社会改良の資料とした。しかし、この制度の運営に対しては、ほとんど予算を計上せず、初期は顧問会議の旅費すら自弁であった。さて、この制度は、余りにも広汎な被救仙民、
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